Thoughts and Healing

政治もBTSも愛犬も本も映画も音楽も同じように考える日々

タイトルが素晴らしいと思う小説①自意識と他者への醒めた視線が冴える、高校生のもどかしいもやもやを描いた作品

タイトルが素晴らしいと思う小説1冊目は・・・

 

綿矢りささんの「蹴りたい背中」です!

はじめに

好きな小説の中でも、タイトルが素晴らしいなあと思う小説があります。タイトルが刺さる小説。そしてそういう小説って、書き出しの文章も好みだったりします。

本を選ぶ時、表紙や帯、あらすじも見ますが、タイトルが気になって手に取った小説の最初の数ページの文体、文章が醸し出す空気、リズムが好きかどうかも重要だったりします。

いいタイトルとは、中身を知らなくても見ただけで興味をひかれるようなキャッチーな場合もあれば、読んだあとに「ああ、まさにこのタイトルしかないな」と思う場合もあると思うのですが、「蹴りたい背中」はどちらもとも言えるかもしれません。だけど私は特に後者の意味で感心しました。

小説の内容をぴったり表すタイトルをつけるってかなり難しいですよね。一言で表せないからこそ、長い物語で描いてるわけで。だからこそ、内容もタイトルも素晴らしい小説は、なかなかに希有な存在だと思います。

綿矢りさ「蹴りたい背中」の魅力

 作者の綿矢りささんが19歳の時この作品(『文藝』平成15年/2003年秋季号<8月>掲載)で芥川賞を受賞し、最年少受賞と話題になりました。綿矢りささんの作品の中で今のところ一番好きです。まだ読んでない人がいたらぜひ読んでほしい1冊です。

 作者の綿矢りささんは、当時、その若さに加えかわいいことで話題になりました。そんな若くてかわいい(とマスコミが騒いでいた)作家さんの書いた小説ですが、内容は今で言うところの”陰キャの初実”と”オタクのにな川”という学校生活になじめない二人のお話でおしゃれとかキラキラとはかけ離れています。かっこよくもすがすがしくもない青春です。それが私にはとてもリアルでした。

 同調圧力とか無理に笑って合わせる友達関係などへの醒めた視線を持ちながら、クラスで浮いている自分の立場も強く意識している、その相反する気もちは痛いほど共感できます。

 ”推しへの思いが強すぎておかしな風になっちゃうにな川”をキモくもいじらしく描き、そのにな川に対しての”言葉にするのが難しいもどかしい感情”を、強い自意識で色々こじらせ気味な初実の言動を通して描いています。

 ”若者の屈託””世間や学校への違和””居場所のなさ””推しへの感情””自意識”そういったもどかしく、もやもやした思いが、もやもやのままにとてもよく描かれていて、結果、蹴りたくなる背中なんです。その、もの哀しく丸まった、無防備な背中は。(暴力の話ではありません!念のため)

 綿矢りささんの小説の魅力は、怖いくらいの感受性とそれ故の人を見る目の深さかなと思います。人の言動の裏側を深読みしてまたそれが鋭すぎて辛い。自意識が強いけれど客観的に自分を見る目もある。そんな主人公の視点に、わかるわあと思いながらそこまで敏感にいろいろ気づいて考えてしまったら、そりゃ自意識も肥大するだろうし、こじらせるし、痛々しくもなるよな、と頷くしかないです。

書き出し

 さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね、葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。

 黒い実験用机の上にある紙屑の山に、また一つ、そうめんのように細長く千切った紙屑を載せた。うずたかく積もった紙屑の山、私の孤独な時間が凝縮された山。

 顕微鏡の順番はいつまで経っても回ってこない。同じ班の女子たちは楽しげにはしゃぎながら、かわりばんこに顕微鏡を覗きこんでいる。彼女らが動いたり笑ったりする度に舞い上がる細かい埃が、窓から射す陽を受けてきらきらと美しい。これほどのお日和なら、顕微鏡もさぞかしくっきり見えることでしょう、さっきから顕微鏡の反射鏡が太陽光をチカチカと跳ね返して私の目を焼いてくる。暗幕を全部引いてこの理科室を真っ暗にしてしまいたい。

 理科の実験中であろう時間にプリントを千切って自分にだけ回ってこない顕微鏡の順番なんてまったく気にしてない風に、クラスで浮いていることも理科の実験の内容も興味なんてない風に、誰も自分のことなんて気にしていないであろうに、そのさびしさが鳴り響いてしまわないように必死で演技している初実の孤独とこじらせた自意識がひしひしと伝わってくる書き出しです。

 芥川賞の審査員の当時72歳だった三浦哲郎さんは下記引用のようにこの書き出しが理解できなかったと言っていますが、

「この人の文章は書き出しから素直に頭に入ってこなかった。たとえば『葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。』という不可解な文章。

 それは逆に言えば、新しい小説だったということで価値があると思います。誰にでも理解出来るような、特にキャリアの長い方にひっかかりも与えないような小説は、多分純文学としては新しくないということになると思うのです。今までにない価値観とか、世界観とか、世の中の見方とか、小説としての描き方とか、何かしら新しいものがあるとハッとさせられる気がします。(別で書きたいと思ってますが今村夏子さんの「こちらあみ子*1」もハッとする作品だったなあ)

ということで、内容はもちろん、タイトルが素晴らしいと思う小説1冊目は綿矢りささんの「蹴りたい背中」でした!

これがもう20年以上も前に書かれたものだとは・・・綿矢りささんももうお母さんになっていて、時の流れを感じますね。ずっと書き続けているのも素晴らしい✨

おまけ 「勝手にふるえてろ」

綿矢りささんの「勝手にふるえてろ」も「蹴りたい背中」に通じるお話です。

「自意識」と「他者への醒めた視線」はこちらでも健在。

やっぱり現実世界にうまくなじめず、妄想が暴走してる26歳の女性。女子高生ではないせいなのか、初実のもっていた初々しさやもどかしさがなく、さらに酷くこじらせている感じ。そんな自分を冷静に客観的に見ながら、他者への醒めた観察力と、どうせ自分なんての自意識と、都合のいい幸せな妄想と、イタくて切なく、でもなんかちょっと笑えてしまう必死さ。それは馬鹿にした笑いじゃなくて、自分にもここまで大袈裟じゃなくても多分絶対にこういうとこあるよな、と思うからかもしれないです。

こちらは映画化もされているのですが、主演の松岡茉優さんが振り切って演じられていて、良かったです。演出も好き嫌いはあるかもしれませんが、私は面白かったです。この面白いはInterestingの面白いって感じです。興味深く面白かったって感じでしょうか。とはいえ、funnyでもあるんですけど!なかなかに登場人物たちのイタさが刺さります。

それではまた🐾