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なぜガザでこんなことが起きてるのか?ちゃんと知りたくて 歴史から現在の状況 各国の関与まで 全て網羅するくらいの気持ちでまとめてみた 〔イスラエル・パレスチナ問題〕

昨年10月ハマスの襲撃をきっかけにしたイスラエル軍のガザ侵攻が始まるまで、パレスチナの問題を私はまったくわかっていませんでした。恥ずかしいことに本当に全くと言っていいと思います。知らなければのんきにしていられたかもしれない。けれどそうした無知や無関心が、どこかの誰かを見殺しにしているかもしれないし、いつか自分にも降りかかる災厄を生むかもしれない。この理不尽な暴力が日本にだけ自分にだけは向けられないという根拠はなにもないと思いました。そもそも、見ないふりをするにはガザで行われていることは残虐非道すぎて耐えられないということがあります。

もちろん、世界中で同じように理不尽で凄惨なできごとがたくさんあることも、過去にあったことも、日本が加害者でも被害者でもあったことも知ってるのですが、それでも、こんなにもたくさんの赤ちゃんや子ども達が殺される、戦争とは言えない、強い者が弱い者たちを皆殺しにしているだけにしか見えない、そんな恐ろしい世界が、21世紀になっても普通にあることに、怒りと恐怖と悲しみと無力感を覚えます。

一体こんなことがどうして起こっているのか?そして世界はなぜ止められないのか?

それを知りたくて、時間をかけて一から調べてみました。そもそもの始まりから経緯、そして現在進行形の状況について、世界の関与と反応も含めて、全て網羅するくらいの気持ちで(もちろん実際には網羅できるはずもないですが)まとめてみました。

知ったからと言って何ができるのかとも思います。それでも、まずは知りたいと思いました。そして、知は自分や大切なものを守る力になると信じたいです。

*ガザの人々に対する残虐な行為を示すあまりにも凄惨な写真や動画は、そうした事実があることは知っておくべきだと思いますが、この記事には載せていません。

パレスチナ問題とは何か

ものすごく簡単に(ある意味乱暴に)言ってしまえば「ユダヤ人のイスラエル」と「アラブ人のパレスチナ自治区」による領土を巡る紛争となります。

これは去年はじまった問題ではなく、1948年のイスラエル建国の時から、少なくとも1968年の第三次中東戦争の時から続く問題です。

そしてそこにはユダヤ教とイスラム教という宗教の問題だけでなく、イギリス、ナチス・ドイツ*1、アラブ諸国、イラン、アメリカをはじめとする国々が長い歴史の中でそれぞれの思惑で深く関係しているため、非常に複雑になっています。

パレスチナとは

古代ローマ時代から、地中海の一番東の沿岸にある地域のことを「パレスチナ」と呼んでいました。地域のことであって、国ではありません。時代によって様々な民族や国、たとえばモンゴル帝国、オスマン帝国、イギリスなどが支配してきました。

イスラエルの国が作られる前は、アラブ人のムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒らがともに生活をし、宗教も民族も多様な地域でした。

パレスチナの地にある都市「エルサレム」には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地があり、宗教上とても重要な地域です。

今、パレスチナのガザ地区で何が起きているか(2023年10月~)

パレスチナのガザ地区では2023年10月から2024年4月17日時点までにイスラエル軍によって3万8千人以上のパレスチナの民間人が殺されています。その半数が15歳以下の児童(新生児も)です。なおイスラエル人の死者数は1,410人です*2

このきっかけは、パレスチナのガザ地区を実効支配*3しているハマスが、イスラエルを襲撃して人質をとったことです。では、なぜハマスはイスラエルを襲撃したのか?

それは、イスラエルがパレスチナ人の土地を占領*4し、とても長い間、武力の支配下に置いて抑圧した生活を強いてきたからです。

*そもそもの始まりからの詳しい経緯やハマスについての詳細などはこの後の「3.イスラエルがパレスチナの領土を占領し支配するようになった経緯」で書いています

パレスチナ人の置かれている現状

パレスチナ人が住んでいるのは、「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」という場所です。国になれないまま、イスラエルの占領下におかれており、周辺の国にも多くが難民として暮らしています。

ガザ地区は、日本の種子島ほどの面積に約200万人が住んでいます。イスラエルは、ガザ地区をハマスが実効支配するようになった2007年6月から今に至るまで、ガザ地区全体を封じ込めるという政策を取ってきました。

イスラエルによる経済封鎖が続いているほか、軍事衝突で多くの民間人が犠牲となっています。ガザ地区の周囲には壁やフェンスが張り巡らされ、移動の自由も制限されていて、“天井のない監獄”と呼ばれています。その場所で、必要最低限の生活さえできない人たちが、イスラエルの抑圧の下に暮らしてきました。

ガザ地区の大きな問題は飲料水の確保と食料の安全です。ガザ地区に対して提供される電力はガザ全体の電力を賄うほどの量にはなっていません。その中で、汚水を処理するための浄化槽に回っていないということが、たびたび指摘されています。

(中略)

このためガザ地区には安全に飲むことができる井戸水がほとんどないとされていて、ガザは人が住めなくなる土地になってしまうということを言っていたわけです。

また、ガザ地区における貧困状態、または失業状態というのは非常に深刻です。去年(2022年)の段階ですが、ガザ地区の失業率は47パーセントに達しています。若者だけに限れば、失業率は64パーセントとも言われているわけです。

また、貧困ライン以下で生活をする人口はガザ地区住民の65パーセントであると言われていまして、ガザの住民には、かなりの多くのパレスチナ難民、難民家庭が含まれるんですが、この難民家庭に絞って言えば、ガザでの貧困率は80パーセントを超えています。

非常に貧しい、生活が苦しい地区を反映するもう一つのデータが、ガザ地区の住民のうち人道支援に頼っている人の割合です。住民の80パーセントが何らかの人道的支援に頼って生活をしています。食料支援かもしれないし、医療的な支援かもしれません。支援がなければ生活が成り立たない人たちが80パーセントいる、これがガザ地区の現実です。

【徹底解説】ハマスとイスラエルの衝突 ユダヤ人とアラブ人 パレスチナの歴史 レバノンのシーア派組織ヒズボラとは? | NHK

また、ヨルダン川西岸では、ユダヤ人による入植地がまだら状に広がっていて、ここでもイスラエル軍または入植者によって多くのパレスチナ人が殺されています。

イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区で殺害されたパレスチナ人の数は今年、過去最多を記録している。それが、ハマスによる今回の派手なイスラエル攻撃の動機となった可能性がある。ハマスはまた、一般のパレスチナ人の間での支持を伸ばそうと、イスラエルとのプロパガンダ戦で目覚ましい勝利を狙ったのかもしれない。

イスラエル人を多く人質にしたのは、イスラエルの刑務所に収容されているパレスチナ人約4500人の一部解放を求め、イスラエルに圧力をかけるのが目的である可能性が高い。パレスチナ人にとって、同胞の解放は極めて感情に訴える問題だ

【解説】 ハマスとは何者か 今イスラエルを攻撃した理由は - BBCニュース

このような現状に加えて、これまでパレスチナ人の後ろ盾となってきたアラブ諸国が、昨今イスラエルとの関係の見直しを始め、アラブの盟主サウジアラビアまでもイスラエルとの国交正常化へ向けた動きを見せています。

パレスチナ自治区を占領したままアラブ諸国がイスラエル国を認め、国交が正常化されるのであれば、イスラエルにとっては願ってもない話ですし、パレスチナ側からすればアラブ諸国からも見放され、世界からさらに忘れ去られてしまうという焦りや恐怖を覚えたことでしょう。

今回の攻撃については、イスラエルの宿敵イランが仕組んだとの見方も出ている。ただ、イランの国連大使は自分たちの関与を否定している。

イランとハマスは、イスラエルとサウジアラビアの歴史的な和平合意の機運が高まっていることに強く反発している。

【解説】 ハマスとは何者か 今イスラエルを攻撃した理由は - BBCニュース

そんな状況下で今回のハマスの襲撃は起こりました。

なお、ハマスに資金や武器、訓練を提供しているのはアメリカやイスラエルと敵対しているイランです。そして中東戦争の時からずっとイスラエルを武器や資金で支援しているのは主にアメリカです。

今回イスラエルを襲撃した理由をハマスの報道官は以下のように述べています。

アブドルハディ報道官
「パレスチナ人は土地を失い、平和もありません。わたしたちはガザの現状に、もう耐えられなくなったのです。作戦に伴う最悪のシナリオや損害などもすべて分かった上で実行したのです」

長年パレスチナ問題を研究してきた専門家は、今回のハマスの攻撃を非難しつつも、国際社会の責任が問われていると言っています。

放送大学 高橋和夫 名誉教授
「(ガザは)生活環境がどんどん悪くなっていく。壁があってその向こうにイスラエルの美しい風景が広がっている。本当に天国と地獄ですよね。本当にひどい状況が広がっていて、世界はそれを見捨てている。国際社会に対する深い失望感というのは、ずっとありますよね」

こうして襲撃したハマスに対して人質を取り返そうとイスラエル軍がガザに侵攻します。

当初は米国、ドイツ、英国、フランス、イタリアが共同声明を出すなど、世界的にもテロリストとしてハマスを非難し、イスラエルを支持する声が多数でした。

米国、ドイツ、英国、フランス、イタリアの首脳は9日、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスによるイスラエルへの攻撃を非難する共同声明を発表し、イスラエルへの「揺るぎない結束した支持」を表明した

米英独仏伊の首脳が共同声明、イスラエル支持で結束 | ロイター

しかし、イスラエル軍が意図的に病院や学校や教会などを狙い、妊婦、子ども、高齢者、記者、医者などの民間人を無差別に虐殺する行為を続けていること、国連職員が一ヶ月で100人以上殺されたこと、またガザから直接発信されるSNSでの凄惨な状況が拡散されたこと、ガザ地区やパレスチナ人がそれまでされてきたことの情報が広まったことなどから、世界中でイスラエルへの非難、そして停戦を求める声や「パレスチナに自由を/Free Palestine」の声があがりはじめました。

では、イスラエルはなぜジェノサイド*5(民族浄化)とも言われるようなパレスチナ人虐殺や追放をしてまでもその土地に国を作り、領土を支配しようとしているのでしょうか。

イスラエルがパレスチナの領土を占領し支配するようになった経緯

2000年前のユダヤ人の離散から悲劇は始まった

かつてパレスチナの地にはユダヤ教を信じるユダヤ人の王国があった。

しかし2000年ほど前にローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナを追い出されて世界に離散する。

その後パレスチナの土地の支配者は歴史に応じて変わっていくが、アラブ人、今で言うパレスチナ人がその地に住み続けることになった(がパレスチナという国はない)。

離散したユダヤ人はヨーロッパや中東、アフリカで暮らすことになるが、特にヨーロッパでは差別や迫害に苦しむことになった。迫害が続く中、19世紀にユダヤ人たちの中で、かつて王国があったパレスチナの地に戻ろう、国をつくろうという「シオニズム運動」が起こり始める。

1915年 1916年 1917年 第一次世界大戦下におけるイギリスの三枚舌外交

1915年(第一次世界大戦が始まった序盤)フサイン=マクマホン協定が結ばれる。これは、イギリスが、当時パレスチナを含むアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すため、アラブリーダーのフサインにオスマン帝国に反乱を起こせばアラブ国家の樹立を支持すると約束したもの。

1916年 サイクス=ピコ条約が結ばれる。これはイギリスとフランスの間で「オスマン帝国を山分けしよう」という内容で、そこにアラブ人の取り分は示されていなかった。

1917年(第一次世界大戦終盤)バルフォア宣言が出される。これはイギリスがユダヤ人に「パレスチナでのユダヤ人国家建設を認める」という約束。イギリスがユダヤ系の財閥ロスチャイルドから資金援助を引き出そうという狙いがあった。

これが歴史上、悪名高い「三枚舌外交」である。

1923年~1947年 イギリス委任統治領パレスチナにおけるシオニズム運動*6の加速

第一次世界大戦後、オスマン帝国の領土はイギリスとフランスが山分けすることになった。そのうちパレスチナ地域は1923年7月24日に国際連盟理事会で公式に承認され「イギリス委任統治領パレスチナ」となる。

アラブ人もユダヤ人もイギリスに騙されて国をつくることはできなかった。

しかし、パレスチナ委任統治決議の序文は、「バルフォア宣言」の条文を基本的にそのまま使ったものであり、ユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに作るとし、また先住民であるアラブ系パレスチナ人のことは、非ユダヤ人コミュニティーとして市民権・宗教の自由は与えるも政治的権利は与えていない。

イギリスはユダヤ系財閥ロスチャイルドからの資金援助を目的に、このバルフォア宣言の内容を実行し、ユダヤ人の入植を後押し。

1922年~1931年 ユダヤ人は倍増 シオニズム運動が加速する

それでも 1931年パレスチナにおけるアラブ系住民は85万人超で多数派だった。

しかしナチス・ドイツによるホロコースト*7が始まり、多くのユダヤ人が欧州から脱出しパレスチナへ押し寄せる。

その結果、パレスチナの土地を巡る争いが起こったり、裕福なユダヤ人が土地を買い占めたりして、先住民であるアラブ系パレスチナ人の多くが土地を失った。アラブ系パレスチナ人たちはイギリス占領軍やユダヤ人入植者に対して反乱を起こすが、イギリスによって鎮圧され、数千人のパレスチナ人が殺害される。イギリスは鎮圧のためシオニスト*8の民兵に武器と訓練を提供もした。しかしアラブ系パレスチナ人の反乱は収まらず、イギリスは激化を抑えるためユダヤ人の入植を制限。すると今度は過激派シオニストがそれに反発してテロを実行。おさまりがつかなくなり、1947年とうとうイギリスは逃げだし、統治を放棄する。

連合国主要国は、委任統治が、1917年11月2日にイギリス国王陛下の政府により発せられ、いわゆる列強が承認した宣言を実行し、ユダヤ人のナショナル・ホーム(民族郷土)(英語版)をパレスチナに確立することに責任を負うべきであると合意した。また、パレスチナに存在する非ユダヤ人コミュニティーの市民的・宗教的権利を不利にすることや、あらゆる他の国に在住するユダヤ人が享受する権利や政治的地位を不利にすることはなされてはならないと明確に了解された。

ーパレスチナ委任統治決議の序文

1947年~1948年 ナクバ 

1947年 パレスチナの分割案

1947年イギリスはパレスチナの統治を放棄し、国連に委ねる。

国連はパレスチナの土地の分割を提案。「ユダヤ人の国家とアラブ人の国家をつくり、エルサレムは国連の管理下に」とするこの分割案は、しかしユダヤ人寄りで、その時点でのアラブ:ユダヤの人口比(2:1)にも関わらず半分以上のしかも肥沃な土地がユダヤ国家とされていた。しかもすでに数十万のアラブ人たちが長い間住んでいる土地をユダヤ国家にしようとしていた。

1947年11月 国連で分割案が採択される。ホロコーストによるユダヤ人への同情とアメリカとシオニストによるロビー活動の結果だった。

これを受け、イギリスは1948年5月15日に委任統治を終えると宣言。

1948年3月 ダレット計画(プランD)開始 ユダヤ国家を作るための民族浄化の基本計画 

1948年3月10日 イギリスの委任統治が終わる2ヶ月前 シオニストの民兵ハガナーが「ダレット計画(プラン D)」を開始する。

建前上の目的は、ユダヤ国家内で権力を握ること 国境の外にあるユダヤ人集落を守ることだったが、ほとんどの作戦がアラブ側の地域で行われ、エルサレムへの道を確保しエルサレムを包囲することを目的としていた。

作戦書にはアラブ人の村を破壊し火をつけ地雷を設置し抵抗するものは追放し、エルサレムへの主要な道路沿いのアラブ人の村を占領し支配せよとあり、実際にひどい虐殺が行われたことが国連の記録に残っている。(デイル・ヤシーン事件)

シオニストたちはデイル・ヤシーン事件をプロパガンダとし、土地を去らなければ同じことが起こると噂をひろめた。結果多くのアラブ人が故郷から避難。シオニスト民兵は次々とアラブの主要都市を制圧、何百もの村や町も掌握、数十万のアラブ系パレスチナ人が故郷を追われ、難民となった。

1948年 イスラエルの建国を宣言 第一次中東戦争(パレスチナ戦争)勃発

イギリスの統治が終わる1日前の5月14日  イスラエルの建国を宣言

周辺のアラブ諸国はこれを認めず、また難民の発生を止めるよう求めただちに宣戦布告。アラブ諸国軍とイスラエルの戦争(第一次中東戦争・パレスチナ戦争とも言う)が始まる。

アラブ側は、エジプト・サウジアラビア・イラク・トランスヨルダン・シリア・レバノンなどからなる軍隊で、15万人以上の兵力、一方イスラエル側は3万人の兵力だったがイギリスやアメリカの支援のもと勝利し、休戦協定を結んで終結。

イスラエルはこの勝利により、国連による分割決議より広大な領土を得る事となる。

1949年の休戦協定で定められた軍事境界線である休戦ライン*9を「グリーンライン」といい、これが現在まで国際的に認知されているイスラエルの領土である。

この休戦ラインでイスラエルはガザ地区(エジプトが実効支配)とヨルダン川西岸地区(ヨルダンが実効支配)を除くパレスチナの地域を実効支配した。

またエルサレムは東部(東エルサレム)をヨルダンが実効支配し、西部(西エルサレム)をイスラエルが実効支配するという形で東西に分割された。

1949年の休戦ラインは当初は休戦による一時的な境界線とされ、恒久的な境界線を意図したものではなかった。

こうして、イスラエルがパレスチナ地域の大部分を占領した事により、元々その地域に住んでいた70万人以上のパレスチナ人が難民となった。シオニストたちは難民の帰還を拒み、村を壊し帰ろうとするものを撃ち殺した。こうして多くのアラブ系パレスチナ人たちは故郷を失い土地を失った。

この一連のできごとを、パレスチナの人達は「ナクバ=大災厄」と呼び、イスラエルは「独立戦争」と呼ぶ。

参考動画:ナクバについて詳しくわかります。

youtu.be

1967年 第三次中東戦争/六日間戦争 中東情勢の転換点

第二次中東戦争(スエズ戦争)後の情勢 

エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言したことから始まった第二次中東戦争(1956年)でイスラエルはイギリスなどと共に出兵したが、国連の即時停戦決議や、ソ連によるエジプト支援の表明、アメリカの反対などにより撤退し、その後スエズ運河の国有化が承認される。
ナセルはこの勝利によりアラブ民族主義の指導的地位を確立した。
一方、イスラエルの北部に接するシリアは、ヨルダン川の水利用をめぐってイスラエルに対する不満を強めるようになっていた。
イスラエルは、エジプトおよびアラブに反撃する機会を狙っていた。

エジプトのアカバ湾封鎖

イスラエル軍がシリア方面(エジプト・イスラエルの北東)に展開しているとの情報を得たエジプトは、シナイ半島(エジプト・イスラエルの間)に軍を展開、アカバ湾の封鎖を宣言。アカバ湾封鎖はイスラエルにとって死活問題であるため一触即発の様相を呈する。しかし当時はベトナム戦争の最中でありイスラエルを支援する余力の無いアメリカのジョンソン政権はイスラエルに自重を要請、戦争は回避されるかに見えた。

イスラエルの奇襲攻撃からわずか6日間で勝利

1967年6月5日、イスラエル軍はエジプト軍によるアカバ湾の封鎖に対する反撃を口実として、エジプトに一気に侵攻、空軍がエジプト空軍基地を爆撃し3時間で破壊した。
エジプト空軍の反撃を無力化した上で、エジプトからシナイ半島とガザ地区を、ヨルダンからエルサレムとヨルダン川西岸地区、シリアからゴラン高原を奪い、戦争は6日間で終了した

ガザ地区・ヨルダン川西岸地区(東エルサレム)を含めたパレスチナ全域をイスラエルが実行支配

第三次中東戦争で勝利したイスラエルは「グリーンライン」を越えて、国際法上認められていないガザ地区と東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区などを実効支配した。こうしてイスラエルは事実上「パレスチナ」と呼ばれていた土地のすべてを統治下に置くことになり、これ以降、国際法に違反する占領地での入植地の建設が加速する。

この戦争を機会に、アラブ・イスラエル紛争の変質が始まり、パレスチナ問題のあり方が現在直面している政治的状況に直接的につながることになります。イスラエルはこの戦争の大勝利によって名実ともども中東の軍事大国であることを証明することになるのです。その後の「中東和平」と呼ばれるようになるイスラエルとアラブ諸国との間の和平交渉も、この戦争前の「原状」への復帰を目標としています。第三次中東戦争が現在に至るまでの和平交渉の出発点とみなされているのです。<臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』2013 講談社現代新書 p.278>

第三次中東戦争後は、中東戦争の対立軸はイスラエル対アラブ諸国からイスラエル対パレスチナ(ゲリラ)へと転換した。

占領地の返還

第三次中東戦争終結後、国連は国連安保理決議決議242号を採択し、安全保障原則として次の5項目をかかげた。
①占領地からのイスラエル軍の撤退、②安全と承認された国境の下で脅威や力の行使から自由で平和に生きる権利、③航行の自由、④難民問題の公正な解決、⑤非武装地帯の設置
この決議のポイントはイスラエルが戦争で占領したアラブ諸国(エジプト、レバノン、シリア、ヨルダン)の領土から撤退して返還すれば、その見返りとしてアラブ諸国もイスラエルという国家の生存権を承認する、というもので、その原則は「領土と平和の交換」といわれた。<臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』2013 講談社現代新書p.280>

イスラエルは決議を受諾することを表明。しかし占領地は容易に返還されなかった。

ガザ地区の支配

イスラエルはガザを2005年まで占領し、その間、イスラエル人の入植地を作り続けた。

イスラエルは2005年にガザから軍と入植者を撤退させたが、上空と境界線、ならびに海岸線を支配下に置いている。国連は依然として、ガザはイスラエルの占領下にあると位置付けている。

ヨルダン川西岸の支配

イスラエルは今なおヨルダン川西岸地区を占領し、エルサレム全体が自分たちの首都だと主張している。国連や国際社会(アメリカ・ホンジュラスをのぞく)はエルサレムをイスラエルの首都とは認めていない。

過去50年の間にイスラエルは、ヨルダン川西岸と東エルサレムに入植地を作り続け、そこに住むイスラエル人は70万人以上に達した。国際法上、こうした入植地は違法だというのが、国連安全保障理事会やイギリス政府などの立場だが、イスラエルはこの判断を拒否している。

敗戦によりアラブ世界の勢力図が一変

この「六日間戦争」での大敗北を受け、アラブ世界の勢力図は一変する。
エジプトに代わってサウジアラビアをはじめとする親米派の王政国家が台頭する。
68年にアラブ石油輸出国機構(OAPEC)を結成するなど、資源ナショナリズムがアラブ民族主義に代わる指導的思想となっていった。
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パレスチナ解放機構(PLO)の変遷 

1969年 アラファトの議長就任

第三次中東戦争後、エジプトの管理下に置かれていたパレスチナ解放機構(PLO)*10の議長に(最も過激なファタハを率いる)パレスチナ軍人のアラファトが就任し、以後、パレスチナ問題の解決はパレスチナ人自身の手に委ねられる事になった。

こうして、中東戦争の対立軸はイスラエル対アラブ諸国からイスラエル対パレスチナ(PLO)へと転換し、PLOはパレスチナの解放と難民の帰還を目指す反イスラエル闘争の中心勢力として、ゲリラ活動を本格化させた。

1970年代前半 過激なテロ活動を展開

アラファトは、当初はパレスチナの東のヨルダンのパレスチナ難民キャンプを拠点とし、旅客機のハイジャック、爆破などの過激なテロ活動を指導し、周辺のアラブ諸国を巻き込みながらイスラエルに対する攻撃を強めていった。

1970年代前半は、イスラエル、およびイスラエルに同調するアメリカなどの諸国に対するテロ活動が最も激しく展開された。

1970年9月 ヨルダン内戦

アラファトが拠点としていたヨルダンの王国政府はPLOが王政打倒に向かうことを恐れ、1970年9月16日にPLO排除をねらいその拠点の難民キャンプを襲撃。

このヨルダン内戦は、アラブ同士の戦いとなったので、エジプトのナセルが和平交渉を仲介しようとしたが彼の急死のためまとまらず、やむなくPLOはレバノンに本拠地を移動させる。

1974年 PLOがパレスチナ人の代表と認められ、ヨルダン川西岸の統治権を手にする

1974年10月アラブ首脳会議で、アラブ諸国はPLOをパレスチナ人の唯一の正統な代表であることを認めた。

同時にヨルダンがヨルダン川西岸の統治権を放棄したことで、PLOはその地を領有する国家としての実態を手にすることができた。

またアラファト議長が国連で演説するなど、PLOが国際的に認められる動きが出てきた。

1975年 レバノン大戦

PLOが拠点を移したレバノンでは、キリスト教マロン派などのPLOに対する反発が強まり、1975年4月13日からレバノン内戦が始まった。

レバノンのキリスト教勢力(マロン派)とパレスチナ解放機構(PLO)を主力としたアラブ人との内戦だったが、途中から隣国のシリア(アサド大統領)が介入、キリスト教徒側についてPLOと戦い一応は終結するが、アラブ人はレバノン南部に拠点を確保し、PLOもベイルートに残った。

1979年 エジプト=イスラエル和平条約

第四次中東戦争*11でイスラエル占領地の奪還ができなかったエジプトのサダト大統領はイスラエルとの和平を模索することに転じ、アメリカのカーター大統領の仲介でイスラエルのベギン首相とのエジプト=イスラエルの和平で合意。1979年3月26日にエジプト=イスラエル和平条約を締結した。

パレスチナにおけるイスラエルの存在を認めることになるこの和平はPLOや他のアラブ諸国が強く反発し、エジプトはアラブ世界で孤立し、対イスラエルのアラブの足並みは大きく乱れることとなる。

1982年 イスラエルのレバノン侵攻  

一方イスラエルは、レバノンを拠点にイスラエル攻撃を繰り返すPLOに対する全面作戦に踏み切り、首都ベイルートを攻撃した。PLOはそれによってベイルートを退去し、チュニジアに移った。

PLOの主流ファタハとアラファト議長はパレスチナの地を離れたことによって主導権を失い、従来のテロ戦術から、外交手段による国際的な地位の向上を目指し、並行してイスラエルとの和平を模索するようになった。

しかし、PLOの和平路線に対して原理的なイスラエルとの戦いを継続すべきであるという新たな過激グループも出現し、パレスチナ解放を巡る方向性に分裂の傾向が現れてきた。

1987年 インティファーダ

こうしたなか、1987年にヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのイスラエルの占領に対するパレスチナ人の民衆蜂起が起こる。

若者が中心で投石やバリケードで闘ったこの抵抗運動をインティファーダと言う。

この時に、現在ガザを実効支配しているハマスが生まれる。

ハマスが設立されたのは1987年12月です。それまでガザ地区を中心として、社会福祉活動を行っていた団体が、第1次インティファーダ(イスラエルに対するパレスチナ住民の大規模な蜂起)の発生を受けて、実力行使部隊を伴って形成されました。

【徹底解説】ハマスとイスラエルの衝突 ユダヤ人とアラブ人 パレスチナの歴史 レバノンのシーア派組織ヒズボラとは? | NHK

1988年 パレスチナ国家樹立を宣言

テロ戦術から外交手段に転換したPLOはパレスチナ国家樹立を宣言するとともに、議長アラファトが国連総会で演説し、イスラエルの存在を認め、テロ活動停止を表明する。

アラファトの「二国家共存」構想 は、イスラエル国家の存在を承認し、パレスチナの地で共存しようというものであった。

  • パレスチナ全体の78%をイスラエルに譲り、残りの22%に相当するヨルダン川西岸とガザ地区に限定した「ミニ国家」を建設する
  • パレスチナ問題を難民問題と規定した国際連合の第242号決議を受諾する
  • 1947年の国連パレスチナ分割決議第181号を受け入れる
  • PLOは、将来、西岸・ガザが解放された場合、パレスチナ人の唯一正統な代表となる

アラファトはこの構想に基づいて中東和平プロセスを、暫定自治 → イスラエル軍の段階的撤退 → 東エルサレムを首都と定めたパレスチナ国家樹立、へと進めることを想定していた。

1991年 湾岸戦争の影響

イラクがクウェートに侵攻したことがきっかけで起きた湾岸戦争の際、イラクのサダム・フセイン大統領は旗色が悪くなる中で「アラブの正義のためにパレスチナを解放する」「クウェート侵攻はイスラエルのパレスチナ占領に対抗する戦略である」などとしてイスラエルに向けてミサイル攻撃をした。

これをきっかけに国際社会から「パレスチナ問題を解決しないと何が起きるかわからない」と事態打開を求める声が高まり、その後の歴史的なオスロ合意へと向かっていく

1993年 オスロ合意(パレスチナ暫定自治合意)

アメリカとノルウェーの仲介で、イスラエル・パレスチナ双方のトップ(イスラエル・ラビン首相 パレスチナ・アラファト議長)により、パレスチナに暫定自治区を設置して、いずれはイスラエル、パレスチナの双方が共存することを目指しましょうという「パレスチナ暫定自治合意」、いわゆる「オスロ合意」が交わされる。

1994年5月 パレスチナ暫定自治政府が設立

ヨルダン川西岸とガザ地区で、PLOアラファト議長がトップとなりパレスチナ人による暫定自治が始まる

残された課題

暫定自治が始まったとはいえ、大きな問題は残されたままだった。

  • エルサレム問題 イスラエルとパレスチナ国家がいずれも首都とすると主張。第三次中東戦争以来イスラエルが実効支配している東エルサレムはユダヤ教徒、イスラーム教徒のいずれにとっても聖地であったので、解決が困難
  • パレスチナ難民の帰還問題 多数のパレスチナ人の難民は和平と共に故郷に帰ることを強く希望したが、もしそれを認めたらイスラエル国内にパレスチナ人が多数になり、「ユダヤ人の国家」という理念が危うくなるとしてイスラエルは難民の帰還を絶対認めない
  • ヨルダン川西岸のイスラエル人入植地問題 イスラエルはガザ地区のイスラエル入植地は後に撤収することにしたが、ヨルダン川西岸からは撤退を拒否している。この地はユダヤ人にとって約束の地の一部であり、第三次中東戦争の犠牲の上に奪還した入植地は手放すわけにはいかない、というのが特にイスラエルの右派・強硬派の主張だった。イスラエル政府としても支持を失いたくないため、入植地撤退には応じていない

2000年7月 オスロ合意の破綻

アメリカのクリントン大統領の仲介でイスラエルのバラク首相とPLOアラファト議長がワシントン郊外のキャンプ・デーヴィッド首脳会談を開催、オスロ合意で積み残された交渉に臨んだが、エルサレム首都問題、パレスチナ難民帰還権問題などで双方の妥協が得られず、決裂。中東・パレスチナ問題は再び混沌とした対立の時期へと戻ってしまった。

2000年9月 第二次インティファーダ

エルサレムの旧市街には「嘆きの壁」というユダヤ教の聖地があり、その上側に「岩のドーム」というイスラム教の聖地がある。

当時イスラエル右派の政治家だったシャロンが、そのエルサレムのイスラム教の聖地に足を踏み入れた。礼拝中だったイスラム教徒(パレスチナ人)は、それを見て暴徒化。イスラエル警察が力ずくで鎮圧し死傷者が出た。これをきっかけに、各地で激しい衝突が始まり、ハマスが主導した銃撃や自爆を含む激しい暴力行為が特徴の第二次インティファーダとなっていく。

2001年 右派シャロンが首相に就任、対パレスチナ強硬路線が強まる

第二次インティファーダのきっかけを作ったシャロンが首相に就任し、対パレスチナ強硬路線が強まる。

ちょうとその頃、2001年9月の同時多発テロをアラブ過激派の犯行と捉えたアメリカが「テロとの戦争」を掲げてアフガニスタンに侵攻を行った。

シャロン政権はアメリカの「テロとの戦争」に同調してPLOに対する対決姿勢を強め、テロリストの侵入を防ぐためという理由でユダヤ人入植地とパレスチナ人居住区の間に隔離壁を建設する。さらにたびたびパレスチナ自治区に軍事侵攻し、ヨルダン川西岸ラマラの自治政府を包囲。2002年2月にはアラファト議長を軟禁状態においた。

2007年~ ハマスの台頭とパレスチナの分裂

パレスチナ側では、暫定自治政府のトップとしてパレスチナをまとめていたアラファト議長が2004年に亡くなり、同じ穏健派「ファタハ」所属のアッバス議長が引き継いだが、2006年の議会選挙でイスラム原理主義の軍事組織「ハマス」に負けてしまう。

ハマスとは、イスラム教の教えを厳格に守ろうという人たちの軍事組織で、ガザ地区を中心にパレスチナの解放を訴えている。軍事部門でイスラエルと武装闘争を続ける一方、慈善活動や教育支援で貧しい人の生活を支える福祉団体としての姿もある。

2006年1月、パレスチナの自治政府で2回目の選挙が行われます。この選挙にハマスは参加を表明し、ハマスの政党が過半数の議席を取りました。

この段階で、ハマスには「3つの顔」ができたと言っていいと思います。
①政党としての姿
②福祉団体としての元々の姿
③実力行使部隊としての軍事部門、軍事組織としての姿です。

【徹底解説】ハマスとイスラエルの衝突 ユダヤ人とアラブ人 パレスチナの歴史 レバノンのシーア派組織ヒズボラとは? | NHK

ハマスが選挙で勝利したが、国際社会の反対でハマスとファタハとの間で支配争いが起こる。結果、ヨルダン川西岸からはハマスを追い出すことに成功し、今までどおりファタハが統治、ガザ地区ではハマスがファタハを追い出す形で実効支配を始める。

つまり、パレスチナが「ハマスが実効支配するガザ」と「ファタハが統治するヨルダン川西岸」とに分裂してしまう。

このため、パレスチナ内での和平への足並みがそろわなくなり、和平交渉がほとんど行われなくなる。

ハマスは2006年の選挙で勝利しましたが、このあとイスラエルだけではなく国際社会から「ハマスが参加するパレスチナ自治政府に対しては支援を与えることができない、承認することができない」という声が上がりました。これは、アメリカ、EU、国連、ロシアが形成する中東和平カルテットと呼ばれたグループからも発せられました。

これに乗じる形で、選挙でハマスに負けた「ファタハ」というPLOの主力勢力が、ハマスの追い出し、追い落としを図ります。この結果、パレスチナのヨルダン川西岸地区ではハマスが追い出されるわけですけれども、一方で、ガザ地区では逆にハマスが「ファタハ」の勢力を追い出す形で実効支配を始めました。これが2007年6月のことです。

【徹底解説】ハマスとイスラエルの衝突 ユダヤ人とアラブ人 パレスチナの歴史 レバノンのシーア派組織ヒズボラとは? | NHK

その後は、ハマスとイスラエルとの衝突がたびたび続く(ガザ戦争など)

2018年 トランプ政権 在イスラエルアメリカ大使館をエルサレムに移設 

歴代政権の中でイスラエル寄りの姿勢が突出していたトランプ政権は、2018年在イスラエルアメリカ大使館をエルサレムに移設した。それはエルサレムをイスラエルの首都と認めたということになる*12実際はイスラエルはエルサレムが首都だと主張しているが、国際法上、占領は認められていない。ところが、トランプ政権は大使館をエルサレムに移設。一方でパレスチナへの支援を打ち切るなど、露骨にイスラエル寄りの政策をとった。このため、ただでさえ止まっていた和平交渉は進まなくなる。

www.bbc.com

元アメリカ大統領のトランプの娘婿のジャレッド・クシュナーは正統派ユダヤ教徒でもあるユダヤ人です。

2020年 パレスチナを支援してきたアラブ諸国がイスラエルと国交を結びはじめる

一方で、パレスチナを支援してきたアラブ諸国にも変化が生まれる。エジプトとヨルダン以外のアラブ諸国はみな「パレスチナ問題が解決するまではイスラエルを認められない」という立場だったが、トランプの仲介で、UAE=アラブ首長国連邦やバーレーンが立て続けにイスラエルと国交を結び、アラブの盟主を名乗るサウジアラビアも、イスラエルとの国交正常化を模索していると言われている。

なぜ、長年対立してきたイスラエルとアラブ諸国が接近し始めているのか。それは中東の地域大国、イランの存在です。イスラム教のスンニ派が多数を占めるアラブ諸国に対し、イランはシーア派で、宗派の近いシリアのアサド政権やイエメンの武装勢力を支援して、地域での影響力を拡大してきました。
そのイランの影響力を警戒してきたのは、イスラム教の聖地メッカを抱え、ペルシャ湾を隔てて対峙するもう一つの地域大国サウジアラビアです。4年前、サウジアラビアは国内のシーア派の宗教指導者の死刑を執行したことを機に、国交を断絶しています。そして去年9月にはサウジアラビア東部の石油関連施設が攻撃され炎上した事件でサウジアラビアは欧米諸国とともにイランを非難。これに対し、イランは関与を否定し、緊張が高まりました。こうしたことからイランを脅威と感じているサウジアラビアやUAEにとって、イランの封じ込めを目指すイスラエルやアメリカと手を組みやすい状況が生まれています。 www3.nhk.or.jp

2023年10月7日のハマスによるイスラエルの奇襲攻撃から現在に至る

こうして、今回のハマスの奇襲攻撃が起こります。

ガザのハマスとヨルダン側西岸のファタハと分裂してから、ハマスとイスラエルはたびたび争いを起こしてきました。しかし、2023年10月7日のハマスの奇襲攻撃は、今までに何度も行われてきた衝突とは規模が違ったこと、またイスラエルもハマスがここまでの攻撃をしてくるとはまったく予想もしていなかったことが、以下の記事からもわかります。

ハマスによる奇襲攻撃は7日午前6時半ごろ、ガザ地区からの大規模なロケット攻撃で始まりました。発射されたロケット弾の数について、ハマス側は5000発以上、イスラエル側は2200発以上だとしています。

それと前後するように戦闘員がイスラエル側に侵入。ガザ地区はイスラエルが建設した壁やフェンスに囲まれて封鎖されていますが、イギリスの公共放送BBCは、検問所を含む7か所をハマスの戦闘員が突破したと分析しています。

ハマスの軍事部門のカッサム旅団はSNSなどで戦闘員がイスラエル側に侵入した様子だとする映像を公開しています。このうち、空から侵入したとする動画では複数の戦闘員が、動力付きのパラグライダーを使ってイスラエルが建設したコンクリートの分離壁を越えていくような様子が映っています。

また、イスラエルとガザ地区の間の人の行き来を管理するエレズ検問所で撮影されたとされる映像では、分離壁で大きな爆発が起きたあと戦闘員たちが走って行く様子や施設のなかで激しい銃撃戦が起きている様子が記録されています。

そして、フェンスごと爆破してそこから武装した戦闘員を荷台に乗せた複数の車がイスラエル側に侵入しているような動画もあります。さらに8日に公開された映像では、複数の戦闘員が海とみられる場所でボートに乗って水面を進む様子がとらえられています。

(中略) 

ハマスはときどきロケットは撃つが、大規模な軍事作戦に出れば、イスラエルも大規模に報復する。その報復を恐れて、それほど大きな作戦は仕掛けてこないであろうという風に見ていた、いわば甘く見ていた、ということも考えられるかもしれません。

さらにイスラエル国内では、最高裁判所の権限を弱めることなどを可能にするネタニヤフ政権の司法改革をめぐって、抗議活動が広がるなど混乱していました。この動きは予備役の中にも広がり、軍の招集に応じないという動きが出ていました。招集に応じない部隊の中に、情報部門の人も結構いて、情報部門が一定程度、機能不全状態におちいっていたのかもしれないという報道もあります。

今回の大規模な軍事作戦はハマスが相当な準備をして行ったと思うのですが、その準備の兆候すらイスラエルがつかめなかった。 

これはイスラエルの軍事、あるいは情報機関の情報収集能力に何らかの欠陥が生じているのかもしれないということを思わせる状態です。

www3.nhk.or.jp

その後、ご存じのとおり、イスラエルのガザへの侵攻、激しい攻撃が続いており「2. 今、パレスチナのガザ地区で何が起きているか(2023年10月~)」にも書いたような状現在の状況になっています。

アメリカがイスラエルを支援する理由

トランプ政権がアメリカ大使館をエルサレムに移設したり、アラブ諸国とイスラエルの国交回復の仲介をしたりといったことを書きましたが、トランプ以外の政権でも常にイスラエルを支援してきたのがアメリカです。

20世紀にアメリカには、ヨーロッパで迫害されていたたくさんのユダヤ人が逃れ移り住み、アメリカの全人口3億人余りのうちユダヤ系は約500万人。政財界・学会、様々なところに影響力を持つ優秀な人物を輩出しています。

さらに政界にイスラエルの利益をなるべく反映させるように働きかける大きなユダヤ系のロビー団体があり、大統領選挙では民主党も共和党も選挙資金を目当てに、ユダヤ系ロビーを無視できない状況です。

米国におけるユダヤ人の政治勢力は大きく、投票や政治資金を通じて、大統領選や議会選挙を左右します。さらに、聖書の独自解釈から「イスラエルやユダヤ人のすることは何でも支持する」という立場のキリスト教福音派が推定約5000万人もいて、ユダヤ人と提携関係にあります。

こうした背景もあって、アメリカは中東戦争以来、イスラエルに巨額の軍事援助を続けています。

アメリカに阻まれ続けた「ガザ停戦」の国連決議

国際連合安全保障理事会(国連)には、常任理事国(アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ロシア連邦・中華人民共和国)だけに認められた自らの国の反対のみによって実質事項に関する安全保障理事会の決定を阻止出来る特権である「拒否権」があります。

イスラエルがガザ地区に侵攻するたびに、国連の安全保障理事会ではアラブ諸国が非難決議を採択しようとしますが、アメリカが拒否権を発動してそれをつぶしてきました。

今回のガザ停戦に関しても何度もアメリカ一国の拒否権で他全ての賛成国の意見は潰されてきました。

<2023年10月 最初の国連決議案 日米英仏の4か国が反対>

ロシアの決議案は、民間人へのテロ行為を非難しているが、加害者として「ハマス」と明記していなかった。採決では、日米英仏の4か国が反対、ブラジルやマルタなど6か国が棄権した。賛成したのは中国やアラブ首長国連邦(UAE)など5か国だった。

日米英などは反対の理由として、「ハマスのテロ行為を非難しない決議案は受け入れられない」と主張した。米欧各国には、ウクライナ侵略を続けるロシアが提案したことへの反発もあった。

国連安保理、ロシアのガザ停戦決議案を否決…ブラジル案を軸に協議継続へ : 読売新聞

<2023年12月 アメリカ反対 イギリス 棄権> 

<2024年2月 イギリスが賛成に回るも アメリカ 反対>

アメリカが拒否権行使し否決 ガザ停戦決議案 国連安保理 | NHK | 国連安全保障理事会

<2024年3月 アメリカ「棄権」で やっと国連決議 採択>

www.bbc.com

今、日本はパレスチナを国家承認しない25%の国の一つ

2024年5月22日 スペイン・アイルランド・ノルウェーがパレスチナを国家承認

スペイン・アイルランド・ノルウェーが、パレスチナ国家を正式に承認すると決めました。パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエルをけん制し、和平に向けた道筋をつける狙いがありますが、アメリカ、日本などは承認していません。

欧州の数カ国が22日、パレスチナ国家を正式に承認すると決めた。だがこれによって、パレスチナの持つ国家樹立の野望の前に、依然として大きな壁が立ちはだかっているという現実が克服されるわけではない。

それでも、アイルランド、スペイン、ノルウェーによる国家承認の宣言は、イギリス、フランス、ドイツなど他の欧州国家に対し、後に続いてパレスチナの自決を支持せよという圧力をかけることになるだろう。

パレスチナ国家については、*ほとんどの国(139カ国ほど)が正式に承認している。

今月10日の国連総会では、国連加盟193カ国のうち143カ国が、パレスチナの国連正式加盟に賛成した。正式加盟は国家にしか認められないことだ。

www.bbc.com

以下引用の記事に書かれている地図の緑色はパレスチナを国家として承認している国。国連加盟国193ヶ国中、146ヶ国(75%)がパレスチナを国として認めている。非承認国は少数であり、米国と、日本を含む米国の同盟国だけ。

2024年5月30日 イギリスがパレスチナを国家承認の可能性を示唆

なんとイギリスもパレスチナを国家承認する可能性が出てきたというニュースが出ました。流れはすっかり変わってきているように見えますが、日本はいつまで承認しないつもりなのでしょうか。

www.rt.com

国際司法裁判所(ICJ)の命令に従わないイスラエル

2023年12月 南アフリカがICJにイスラエルをジェノサイドで提訴

1994年まで続いた人種隔離と差別の政策(アパルトヘイト)を受けてきた南アフリカはパレスチナに連帯し、イスラエルの行為をジェノサイドとして国際司法裁判所に訴えた。

www.bbc.com

イスラエルがパレスチナ自治区ガザ地区でジェノサイド(集団虐殺)を犯していると、南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)に訴えた

南アフリカは審理前に提出した証拠の中で、イスラエルの行動について、「パレスチナ人の国家的、人種的、民族的な集団のかなりの部分を破壊することを意図していた」としている。

一方のイスラエルはこれまで自国の行為について、ハマスによる昨年10月7日の襲撃に対するもので、正当だと主張している。

南アフリカは、イスラエルによるガザでの軍事作戦を強く批判している。南アの与党・アフリカ民族会議は、パレスチナの大義と、南アで1994年まで続いた人種隔離と差別の政策(アパルトヘイト)との闘いには相通じるものがあるとして、長年にわたってパレスチナへの連帯を示してきた。

www.bbc.com

2024年5月16日 南ア イスラエルのラファ攻撃停止命令をICJに請求

南アフリカは16日、イスラエルがパレスチナ自治区ガザで大量虐殺(ジェノサイド)を行っているとして国際司法裁判所(ICJ)に起こした訴訟で、「最後のとりで」となる南部ラファへの攻撃停止を命じるよう求めた。
南アは先週、ラファを巡りイスラエルに攻撃停止と撤退を命じるようICJに請求。また、国連関係者、人道支援団体、ジャーナリスト、調査員らがガザに自由に出入りすることをイスラエルに認めさせるよう求めた。イスラエルが先に出された裁判所命令を無視し、違反してきたとも主張した。

jp.reuters.com

2024年5月24日 ICJがイスラエルに軍事作戦停止を命令

www.asahi.com

2024年5月26日 28日 ICJの命令にもかかわらず、ラファを空爆し続けるイスラエル

www.bbc.com

ICJの命令にもかかわらず、イスラエルはラファ侵攻の継続を宣言している。イスラエル当局はICJの命令について、国際法を順守しながらの攻撃を可能にする余地を残したものだと主張している。

一方、国連のフォルカー・トゥルク人権高等弁務官は、「イスラエルの戦争手段と方法は、すでにあまりに多くの民間人の死者を出しているが、その戦い方に明確な変化がまったくない」ことを、今回の攻撃は示すものだと述べた。

www.bbc.com

2024年5月28日 さらに空爆を続けるイスラエル

www3.nhk.or.jp

ICJの命令とそれを無視するイスラエルに対しての各国の反応

アメリカ 各国のイスラエルへの非難にも関わらずアメリカは支援を見直さない

米国家安全保障会議(NSC)のカービー報道官は28日、記者団に対し、パレスチナ自治区ガザ地区南部ラファの難民キャンプで数十人が死亡した26日の空爆はバイデン米大統領の「レッドライン(越えてはならない一線)」を越えるものではないと語った。

カービー氏は「大規模な地上作戦は望んでいない。現時点ではそのような状況は目にしていない」と述べた。

カービー氏は、今回の攻撃で米国の方針は変わるのかとの質問に対し「話すような方針変更はない」とし、今回の攻撃は「偶発的に起こった」ものだと強調した。

www.cnn.co.jp

ホワイトハウスは28日、イスラエルがパレスチナ自治区ガザ南部ラファの避難民密集地域で26日空爆を行い、数十人の犠牲者が出たことは悲惨な出来事だとしつつも、バイデン大統領が同国への追加の武器供与をストップするには至らないとの立場を示した。

www.bloomberg.co.jp

一方、米国のジョン・カービー大統領補佐官は28日の記者会見で、26日のイスラエル軍の攻撃について、イスラエル側に徹底調査を求めつつ、直接の非難は避けた。「二度と起こらないようにすることが重要だ」と述べた。イスラエルがラファへの大規模侵攻に踏み切れば軍事支援を見直すと米政府は警告しているが、現時点では大規模侵攻に当たらず、支援を見直す状況ではないとの見解を示した。

www.yomiuri.co.jp

EU上級代表 イスラエルにICJの命令命令に従うよう求める

「ラファとその周辺でイスラエルの軍事作戦は続き、主要な検問所は閉鎖されて人道支援物資を入れることができないままだ。これらは国際司法裁判所の判断に反して行われている」と述べました。

そして裁判所の命令には法的拘束力があり、確実に履行すべきものだとして、イスラエルに対し命令に従うよう求めました。

一方、ボレル上級代表は、26日にイスラエルに対してイスラム組織ハマスが行ったロケット弾による攻撃についても「こうしたこともやめなければならない」と述べたうえで、停戦と人質の解放、それにガザ地区の人道状況の改善のため国際社会が力を尽くすべきだと訴えました。

www3.nhk.or.jp

日本 当事国を法的に拘束し、誠実に履行されるべき

林芳正官房長官は27日の記者会見で、国際司法裁判所(ICJ)がイスラエルに対しパレスチナ自治区ガザ最南部ラファへの攻撃の即時停止を命じた仮処分(暫定措置)について「当事国を法的に拘束し、誠実に履行されるべきだ」と述べた。
 ガザ情勢に関し「危機的な人道状況を深刻に懸念している」と言及。「特に多数の避難民が集中するラファでの軍事作戦継続で、さらに多くの犠牲者が発生し、人道支援活動がより困難になる事態は許容できない」と強調した。

www.tokyo-np.co.jp

世界中のパレスチナ連帯の動き 動画・写真  

アメリカは今でもイスラエルに武器を供給し続けているとはいえ、最初の頃のイスラエルに完全に寄り添ったものからずいぶんと変わってきています。イスラエルはアメリカのそうした変化に反発もしています。

アメリカを少しずつでも動かしているのは、アメリカ国内の大学や民間で行われた多くのデモ、世界中で行われているデモやイスラエル支援企業の不買運動・ボイコットなどだと思います。アメリカと同様にイスラエル寄りだったEUが、そしてイギリスが影響を受けて態度を変えていき、アメリカ追従の日本もまた国連の決議に賛成するくらいには変わっています。

デモが警察によって弾圧されてるケースも多々あり、暴力的になったり、反ユダヤ主義がこれを利用したりなど、気をつけなければいけない問題は含まれているとは思いますが、世界の一般の人々が黙っていたら、きっと今の流れはなかったはずです。

世界各国で、国が親イスラエルであってすらも、諦めずにパレスチナ連帯のデモ、抗議など行われている様子をリンクします。これでもほんの一部です。

 

イスラエル テルアビブ大学

イスラエルですらも学生たちが「ストップ! ジェノサイド」の声をあげている

アメリカ ニューヨーク

アメリカ ホワイトハウス前

”バイデン バイデン どうなんだ?

今日何人の子どもたちを殺した?

今日いくつの家を爆破した?

今日いくつの学校を爆破した?

今日何人の母親を殺した?”

アメリカ ハーバード大学 他大学

アメリカ シカゴ 高校生

イギリス ロンドン

インドネシア ジャカルタ

カナダ モントリオール

カナダ バンクーバー

カナダ トロント

スコットランド セルティックファン

ドイツ ベルリン

ドイツはアメリカと同様、かなりの親イスラエルです。かつてのユダヤ人ホロコーストの歴史から、反ユダヤととられかねないイスラエル批判が難しいのかもしれません。しかしそんなドイツでも禁止されているにもかかわらずこんな大規模なデモは行われています。そしてドイツ外相がラファ攻撃に懸念を表明するようになっています

フランス パリ

デンマーク コペンハーゲン

南アフリカ ケープタウン

インド

親イスラエルのインドでも

韓国 

フィンランド

日本

最後に

読んでいただきありがとうございます。時間をかけて調べ、何度も読み返し、間違いのないよう気をつけたつもりですが、間違いやおかしなところがありましたら教えていただけるとありがたいです。誤字・脱字等はお許しください。

今回まとめることで、色々な情報が整理されてとても勉強になりました。

宗教の問題だけでもないし、イスラエルとパレスチナだけの問題でもないし、いろんなことが複雑に絡み合っていることがよく分かりました。

歴史は続いているし、世界は繋がっていると感じます。

また、全てのユダヤ人が過激派シオニストではなく、反イスラエルのユダヤ人もたくさんいることは心に留めなくてはいけないと思いました。

そして、2000年前に故郷を追われて離散し、各地で迫害されたうえ、ナチス・ドイツによるホロコーストの被害者となった悲劇のユダヤ人の中から過激派のシオニストが生まれ、大虐殺を行う加害者となってしまった事からは、色々なことを考えさせられます。

また、その地の利を目的とした他国の思惑で振り回され利用され理不尽に迫害され殺される人々がいることも改めてよくわかりました。

地勢、民族、宗教などいろんな理由があるとはいえ、日本がこの79年間戦争をすることなくこられたことは奇跡のような幸運であり、平和や自由や個人の尊重などは当たり前にあるものではないということを強く感じました。

そして、どんな理由や経緯があっても、今、ガザでおこなわれているようなことは絶対に許されてはいけないという思いだけは変わりませんでした。

犠牲者の数を見ればすでに遅すぎるとは思いますが、今少しずつ流れは変わってきていると感じます。アメリカが世界の流れに逆行しどこまでイスラエルを擁護し続けるのか。日本はいつまでアメリカに追従するのか。刻々と情勢が変わるので、今後の動きもしっかり追っていきたいと思います。

参考文献

上記の記事内で引用したもの以外に、以下の記事や動画、朝日新聞等を参考にまとめました。是非元の記事も読んでほしいです。

 

とてもよくまとまっていて、基本からわかりやすいです。偏りもなく公平に書かれているように思いました。

www.nhk.or.jp

上記の記事の元になっている対話形式でさらにわかりやすく書かれた記事はこちらです。(1)~(3)まであります。

www3.nhk.or.jp

2023年10月11日の記事です。ハマスがイスラエルを襲撃してまだ間もない頃に放送されたクローズアップ現代の記録です。ここからイスラエルのガザへの攻撃ははげしく酷くなり、虐殺の様相を呈してきます。まだそこまでいっていない時でありながら、ガザの人々に対してイスラエルが行ってきたこと、ガザの現状についても書かれていて、なぜハマスがこのような行動に出たのか、理解するのに役立ちます。

www.nhk.or.jp

中東問題/パレスチナ問題

新・いちばん丁寧なパレスチナ問題の解説【小学生でもわかる】 | 学生生活ラボ|大学受験・大学生活情報サイト

パレスチナ地域の歴史と現状 - パレスチナ・オリーブ

シオニストとは?シオニズム運動とは?背景や歴史をわかりやすく解説

【解説】 イスラエル・ガザ戦争 対立の歴史をさかのぼる - BBCニュース

https://manapedia.jp/text/1907

 

 

 

*1: 国民社会主義ドイツ労働者党 ( ナチ党 ) 政権 下の、 1933年 から 1945年 までの ドイツ国 の 通称

*2:

パレスチナ・イスラエル戦争による死傷者数 - Wikipedia

*3:特定の国や勢力が、それと対立している国や勢力、あるいは第三国などの承認を得ないままに軍隊を駐留させるなどして一定の 領域 を実質的に統治している状態

*4:他国の領土を自国の武力の支配下に置くこと。

*5:

ジェノサイド条約の第2条によると、ジェノサイドとは、国民的、人種的、民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた、次の行為のいずれをも意味します。

(a)集団構成員を殺すこと。

(b)集団構成員に対して重大な肉体的または精神的な危害を加えること。

(c)全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。

(d)集団内における子どもの出生を防止することを意図した措置を課すること。

(e)集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと。

*6:故郷であるパレスチナの地に帰還しユダヤ人国家建設を実現するための運動

*7: 第二次世界大戦中1930~40年代にかけて、ナチスドイツが行った組織的な大量虐殺・迫害

*8:シオニズムの活動に参加した人々のこと。全てのユダヤ人がシオニストではない。またシオニストの中でも過激な政治的な人たちもいれば古代ユダヤの文化の復興を目指す人たちもいる

*9:休戦ライン(または停戦ライン)は、各軍事勢力の固定や兵力の引き離しのために設定される基準線です。通常、休戦が成立したときの戦線が軍事境界線とされます。

*10:1964年5月に、エジプトのナセル大統領などのアラブ連盟の支援を受けて、パレスチナ解放機構が組織された。この Palestine Liberation Organization の略称がPLO。当初は必ずしもゲリラ闘争やテロを戦術とはしておらず、パレスチナ国家の建設を目指すアラブ人の国際機関という性格が強かった

*11:ナセルに代わったエジプトのサダト大統領は、1973年10月6日にイスラエルに対する奇襲攻撃を成功させる。イスラエルは間もなく反撃したが、アラブ諸国が「アラブの大義」を掲げて結束し、石油戦略を展開、有利な休戦に持ち込み、シナイ半島のエジプトへの返還の見通しとなった。しかし、ガザ地区やヨルダン川西岸にはイスラエル人の入植が進み、そこからの撤退は認めなかった

*12:大使館は通常、 接受国 (派遣先の国)の 首都 または主要都市に置かれる