Thoughts and Healing

心を整えるために 頭の中のこと 日々想うこと

「好きな小説」って難しい めちゃくちゃ面白かったからといって好きな小説というわけでもなかったりする

今週のお題「好きな小説」

小説には個人的に苦手なものだったり、面白くなかったり、ぶっちゃけ嫌いだったりするものがある。でもその逆が好きな小説か?と言えばちょっと違うような気もする。めちゃくちゃ面白かった小説でも、好きな小説かと言われると何か違う気がする場合がある。同様に、とても考えさせられた小説とか、気づきがあった小説とか、スリリングだった小説とか、わくわくした小説とか、懐かしくて涙が出た小説とか、謎解きが秀逸だった小説とか、時代をすごく現していた小説とか、フィクション世界が最高だった小説とか、違う世界の見方を教えてくれた小説とか、切なかった小説とか、ドキドキした小説とか、感動した小説とか、何かすごいよかった小説とか、そういう小説が全部「好きな小説か?」と言われるとまた違う気がする。

そういう小説たちは、好きか嫌いかで言えばもちろん好きなんだけど。

特別に好きな小説は、そうしたことにさらにくわえて「なんか好き」な気配とか空気をまとっている。それは文体だったり、文章だったり、世界観だったり、リズムだったり、内容や物語にくわえて自分が好ましく感じる、何だかわかんないけど自分の感覚にしっくりくる感じ、が特別に好きな小説として心に残っているのかもしれない。それは読む年齢や環境によってまた変わってしまうものかもしれないけれど。

そんなふうに特別に心に残っている小説を本棚から選んでみる。今読んでもそう思うかは読んでみないとわからない。でも何度か読み返したものばかり。好きな順番ではなく本棚からみつけたものから書いていく。ふと気づいたけど、好きな小説の作家さんの本はそこからはまってほとんど読んでいるということ。

大学生の頃かな?ボロボロになるまで読んだ江國香織さんのきらきらひかる

おしゃれな生活やその文章表現が話題になり好き嫌いがそこの好みでわかれることが多いような気のする江國さん作品だと思うんですけど、確かに文章には独特の透明感があるように感じるし、たとえばベッドシーツにアイロンをかけるとか、セザンヌの絵に向って歌を歌うとか、何気ないけどなんか特別なシーンの描写がおしゃれというか素敵なんですよね。でもそうしたきれいでおしゃれな生活の中に描かれる世界はけっこういつも闇深いと思うんですよ。この作品に限らず。ただのきれいな文章とか、優しいとか癒やしとかじゃないと私は思っていて。人間の心の複雑さとか、この世界への戸惑いや悲しみやアンチテーゼみたいなものが含まれた毒が、素敵な文体やおしゃれな描写の中に書き込まれているような気がして、それが私にとって、江國香織さんの作品の魅力であり惹かれる理由です。その毒をこっそりしのびこませるためにあえて真逆のおしゃれで素敵な描写があるのではないかと思うほどです。

初めての読書体験をさせてくれた今村夏子さんのこちらあみ子

いわゆる「ふつう」じゃないあみ子の視点と思考で描ききっているのが衝撃だったんです。自分と他の人の見ている世界は全然違っていて感じ方も捉え方も違うっていう理屈ではわかっていたことを小説の世界でそのまま見せてもらった、気がしました。今村夏子さんは、一貫して今の社会で多くの人が「普通」と思っているのとは違う視点と思考の人たちのことを、その人たちの視点で描いている気がします。しかも決して説明しない。(多分読者が心地よく理解する)普通の(マジョリティの)人たちの視点で説明しないのがとてもすごいことだと思う。普通は説明したり言い訳したりしたくなると思うんです。「みんなに」理解してほしいから。だけど今村さんは説明しない。だから不思議な話とか変な話とか言われることも多い今村作品だけれど、私はそうじゃなくて、あみ子とか黄色のカーディガンの女とか宗教を信じて頭に濡れタオルを載せてる両親とか、この社会からはみだしていて、後ろ指指されたり、馬鹿にされたり、笑われたり、気持ち悪がられたり、おかしな人だったりしてしまう彼らはただ彼らの感覚で生きていて、それは普通と思っている私たちがただ自分の感覚を普通だと思って生きているのと同じことで、そういうことを説明や言い訳なく、その人たちの感覚として書ききっているんだと私は思っていて。そして、そういう小説が私にとっては「こちらあみ子」が初めての経験だったように思う。もちろん社会からはみだした人の小説は山ほどあります。でもその描き方が、そうした人たちが理解されたり救われたり何か成功して認められたりっていうようなこの社会になじむことを目的や軸にした物語じゃなくて、ただはみだしている彼らがはみだしたままに存在してそのまま描かれている。不思議な人たちの不思議な話などと言われてしまうけれどそれは彼らからしたら普通の話なんだよなと思って。こういう描き方が他にはないと思いました。こちらあみ子を読んだあとに出会ったコンビニ人間などの村田沙耶香さんの作品にも近い感覚を持ちました。村田さんの作品や今村さんの作品については、別でちゃんともっと書きたいです。

純文学みたいに作家の世界が確立されている伊坂幸太郎さんの小説

伊坂幸太郎さんは、最初に読んだオーデュボンの祈りの世界がすごく好きではまりました。今でこそ伊坂幸太郎さん節というか、彼らしさが浸透していると思うんですけど、最初出てきたときはとても新しかったと思います。エンタメで物語も登場人物もミステリーも面白くて、でもそれだけじゃなくて、読めば伊坂幸太郎作品だとわかるような文体や世界観があって、そこが私にとっては特別な魅力です。
ちなみに最初にオーデュボンの祈りを読んだのはもう二十年以上も前なんですけど、どこかの南の島、ハワイかランカウイかモルディブかどっかに持っていって、ビーチで白ワイン飲みながら優雅に、でも夢中で読んだ記憶なんです。だからこの小説読むとなんかそんな今とは全然違う生活、ガシガシ働いては旅行してた頃の懐かしいような気分になります(小説の内容とは関係なく)

圧倒的としかいいようのない全部入っている小説 ドストエフスキー

なんか好きなんですよね、ドストエフスキー。罪と罰もいいんですけど、やっぱりカラマーゾフの兄弟が一番かな。翻訳によってもまた変わるので、いろんな翻訳家で読みたいです。光文社古典新訳で読んだんですけど、新潮文庫も古本屋で買って積んであります~ 家族、宗教、恋愛、人間、政治、社会とか壮大すぎて読み終わると細かい記憶が全部失われて(え?)ただすごかったとしか言えないんですけど😂、でも読んでる間の自分の人生とは全然違うけど人間が描かれているその世界が好きです。

村上春樹さんはやはり通る道

初期作品が好きです。

 

そして過去記事にもしましたが 綿矢りささんやサガンの作品も外せません。

thoughtsandhealing.hatenablog.com

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最後に

好きな小説って難しいとかいいながら、たくさん出てきたな😂まだ書きたいものが本棚にあります。50年以上生きてれば読んでる本も増えるので好きな小説も増えますね。でも若い頃あんまりだったものが今響いたり、その逆もありますよね。これからまた特別に好きな作品=作家さんに出会えるといいな🐾