Thoughts and Healing

心を整えるために 頭の中のこと 日々想うこと

夜の散歩で鈴虫の鳴き声を聞いてこんなに暑くても秋の気配が漂いだしてることに人間が何をしてようが季節はちゃんとめぐることに安心したり不思議な気持ちになったり世の中や現実の捉え方がわからなくなったりした

夏の昼間は暑すぎて到底無理なので、夜になってシュナ🐾のお散歩に出かける。湿度は高く蒸し暑いけれど日射しもなく、20分も歩けば汗でじっとりするとはいえ昼に比べればだいぶ涼しい。

ちょっと前まで日が暮れても蝉の気配があった。夜になっても鳴き声がしたり、力尽きて誰かの家の庭の木から落ちてきてシュナと私を驚かせたり、道に転がっている瀕死の彼らに気をつけていたのが、今夜は蝉の気配をまったく感じなかった。

代わりにちょっと前から聞こえ始めていた鈴虫の声が今日はとても大きく感じた。まさに輪唱のように響き渡っていた。りんりんりんりん

異常気象のような猛暑や豪雨や雷雨、そして台風による大雨などの被害。地震の心配もあるし、自然の脅威を感じてばかりいたけれど、こうして8月も後半になるとちゃんと秋の気配が漂い始めているのを感じて、ちょっと安心したり、何となく不思議な気持ちになる。なんだかもうずっとこんな暑い日が続いて疲弊してゆくだけのような気がしていた。

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬がくる。日本の当たり前の四季が巡ることの素晴らしさを改めて感じたし、人間の知恵や文明や愚かさや欲深さや向上心等々によって発達したり汚染されたり良くも悪くも変えられてきた地球や海や空気や宇宙だけれど、そんなこととはもっと次元の違うところでうまれ動いていることがあるんだよなと、いうことを改めて肌で感じながら夜の静かな住宅街を歩いた。

うまく言えないしまとまらないけど、宇宙が生まれて地球が生まれて生命が生まれて、今は人間がこうして我が物顔で政治とか経済とか文明とか戦争とかやってるけど、そうした一つひとつに一喜一憂したり命をかけたり奪ったりしてるけど、そういうんじゃないんだよな、きっとほんとうは、違うんだよな。何がって言われたら今ある言葉で答えられないんだけど、でもただなんか違うんだよなって思う。思いながら、お金で買える安心や物質的な幸せを求めてるくだらなくてつまらない自分のことも、何か全然違うんだよな、そのじたばたもって思ってる。

日本の総理大臣に次になるかもしれない面々を見て全然笑えない悪い冗談みたいだと思いながら、総理大臣とか政治家ってこんな人たちなんだっけ?ってもしかして皮肉を込めたコメディ映画を見てるのかしらと現実感が薄らいでいたけど、アメリカ大統領選の様子を見てたら世界を思うままにしてきた大国アメリカですらもふざけてんのか?と思うような、時に幼稚ですらある(だけど力を持ってる人の幼稚さは恐怖でしかないわけなんだけれど)選挙戦が繰り広げられていて、アメリカがこれなら日本の総理大臣選びもこれが現実なんだなって逆に受け入れられた。

もう世界のありようも変わるときなのかもしれないな。季節がめぐるように、社会も、この世界のありようも、自然と変わってゆくものだろうから。長い歴史を見ればそうであったように。そしてそれは自分の頭で考えてるような次元とは違うところでもうどうにもできない流れってものがあるのかもしれない。

民主主義の弱り方とか先進国の少子化とか環境の変化やBRICS+の台頭や欧米や日本の政治の腐敗や衰え方や右傾化を見ていると、止められない流れはあるのかもしれないと思う。だからってたとえば全体主義にしようとしたり戦争しようとしたりしてるのをわかっていてただ見てるだけでいいとは思わないけれど。

でも腐りきった政治家たちと飼い慣らされた従順な国民を見ていると一度もっともっと地に墜ちてそこから這い上がるしかないのかしらとも思う。嫌だけど。できれば血を流さずに賢く変わってほしい。もう人間の血塗られた歴史だって短くはないんだから。そろそろ学んでもいいはずなのに。言葉を持ち、字が書けて、歴史を記すことができても何も学ばず成長しない人間は、他の動物と変わらない。むしろ残酷で欲深いからたちが悪い。

蝉は力尽き、鈴虫は声をあげ、シュナはかわいく眠ってる。私は眠いのにこんな駄文を書いている。

現実がちょっとよくわからなくなる。どうやってこの世界を見て、どうやって考えたらいいのかもわからなくなる。何か全然違うんだよな、ってことだけがわかる。

とりあえずまだ秋がやってきてくれそうなことに、安心している。

今はかわいいシュナといっしょに眠ろう。