Thoughts and Healing

頭の中のこと 日々想うこと

森見登美彦「シャーロック・ホームズの凱旋」を読む 物語の中にある解けない謎からの脱出 それは自分の内側にある謎からの脱出でもあるということ

シャーロック・ホームズの凱旋を読む

🐾個人的な読み&解釈かつネタバレありです🐾 

Kindle Unlimited で読みました。

前半はホームズシリーズを読んでいた人にはおなじみの登場人物たちが、ロンドンではなくヴィクトリア朝京都の街に暮らしているという、その設定だけでも楽しめる内容となっています。京都の地名や組織名が案外に横文字のフリガナに違和感なく馴染むこと(京都警視庁をスコットランド・ヤードと読むなど)に新鮮に驚きつつ、そんな世界で推理をしない(できなくなっている)ホームズの物語を追うことになります。ホームズシリーズに詳しい人は登場人物や作品名などでさらに楽しめると思うのですが、私は小中学生頃にたくさん読んだけれども詳細を覚えていないという😂だけどそれでも充分に楽しめます!

前半、架空の街ヴィクトリア朝京都にいるホームズがスランプに陥って推理ができなくなってしまうそのすったもんだが描かれるのか~と思って読んでいると、後半になって同じ森見登美彦氏の作品「熱帯」を思い出させるような不思議な展開に。

突然「架空のヴィクトリア朝京都という場所でのホームズの物語」をロンドンで書いているワトソンの語りになり、え、京都の話は小説内小説だったのか!と驚きつつもなるほどね~などと納得しかけたところで、

実はそんなロンドンの世界こそがワトソンが京都で書いていた「架空のロンドンという場所でのホームズの物語」の世界で、ワトソンもホームズもモリアーティ教授も京都にある<東の東の間>を通ってこの物語世界にやってきたのだった、と理解する。

しかし京都に戻ってから、ロンドンは幻ではなかったというヴィクトリア女王の言葉に、またまた混乱。

正直最後、どっちが小説でどっちが現実?あるいはどれも小説の中のお話なのか(まあそもそも森見登美彦氏の小説の中の人物たちなんですけども)がわかりません😅でもどうやら、「この世界そのものが『魔力』によって創られている」というのがワトソンの出した結論のようです。だからこそ女王に感謝されるようなことであったということ?

うーん、難しい。

そして最後の最後、女王から渡されたロンドンで書いていた「シャーロック・ホームズの凱旋」の原稿を京都で書きあげワトソン女王に献上するという、つまり今私が読んでいるこの小説がそれだということでよろしいでしょうか!!見守るしかできない女王、それはもしかして・・・読者のこと?それはさすがに深読みしすぎかな🤔

この冒険譚がすべてホームズとワトソンそれぞれの自分探しのお話のようでもあります。

本文から

これを書くにあたり、頭を整理するために、ここぞと思うところを以下に書き写しながら読みなおしました。

シャーロック・ホームズはモリアーティ教授であり、モリアーティ教授はシャーロック・ホームズなのだ。しかしホームズ自身はそのことに気づいていない。他ならぬ自分と死闘を続けてきたことに気づいていない。

(中略)

いくら謎を解いても、ホームズがモリアーティ教授という謎の核心に辿りつくことはない。なぜならそれは彼自身だからだ。だからこそ彼はその謎にいっそう魅了され、追求しないではいられなかったにちがいない。

(中略)

「私はこの世界を終わらせるためにやってきたのだ。諸君は自分たちが本物の人間であると本物の人生を生きていると信じていたのであろう。しかし諸君は作者によって創られた操り人形にすぎない。『シャーロック・ホームズ』という名探偵を主人公とした探偵小説、諸君はその脇役なのだ。そしてシャーロック・ホームズの冒険が終わった今、諸君が存在する理由はなくなった。そもそもこの世界そのものが、名探偵ホームズのために創られた偽りの世界なのだ」

ーこのロンドンは、真のロンドンの影にすぎない。

モリアーティ教授はそう言った。不気味なほど優しい声であった。

(中略)

「私は作者の代理人なのだ」

モリアーティ教授は私を睨みつけ、唸るように言った。

「みずから創造した架空の名探偵が未曾有の人気を博すようになるにつれて、作者はホームズを憎むようになった。ほんの些細なきっかけで生み出した名探偵のせいで、自分は正当に評価されていない。世間はシャーロック・ホームズという名探偵にしか興味がなく、あたかも作者をホームズの忠実な記録係であるかのように扱っている・・・。これでは本末転倒だ。許しがたい反逆だ。いまいましいホームズと縁を切り、『探偵小説』という桎梏から自分を解放する。その目的を果たすために、作者は私という存在をこの世界へ派遣したのだ」

(中略)

「あらゆる事件を己の力で解決してきたと自惚れていた。この世界が『探偵小説』にすぎず、すべてが作者によってお膳立てされたものであることを知らなかった。そして彼を創造した作者自身から憎まれるようになったとき、ホームズの命運は尽きたのだ」

(中略)

そしてロンドン世界は崩落しモリアーティ教授(ホームズ)は劇場の屋上から身を投げる

どうして自分は『シャーロック・ホームズの凱旋』を書いてきたのか。それこそが真実であり、この世界の本当の姿であるからだ。私たちは、今もまだマスグレーヴ家の<東の東の間>に閉じ込められている。このロンドンという「現実」は<東の東の間>が創りだしている悪夢の世界なのだ。しかしシャーロック・ホームズも、モリアーティ教授も、自分たちがどうやってこの世界へやってきたのかを忘れている。

そしてワトソンも身を投げる。

そうして無事に京都に戻ったワトソン、ホームズ、モリアーティ教授だがワトソン以外はロンドンでのことを覚えていない。

もし私がホームズたちを目覚めさせることができず、あのまま暗黒の滝壺に呑み込まれていたらどうなっていたのだろう。そんなことを考えていると、ロンドンのモリアーティ教授が「黒の祭典」で語った真相が思い出された。彼はあの世界そのものが「探偵小説」だと言っていた。自分はこの世界を終わらせるために「作者」によって派遣されてきたのであると。

ーこのロンドンは、真のロンドンの影にすぎない。

崩壊していくロンドンの向こう側に、ひとりの「作者」の姿が透けて見える。その人物は背を丸めて机に向かい、みずから生み出した探偵小説のシリーズに幕を引くべく、最後の一篇を書いている。みずから創造した名探偵を葬って、みずから創造したロンドンを消し去ろうとしている。それは呪われた鏡に映しだされた、私自身の姿のようでもある・・・

(ヴィクトリア朝京都の)ヴィクトリア女王から幻のロンドンで書き、「黒の祭典」でばらばらに引き裂かれたはずの「シャーロック・ホームズの凱旋」の原稿を渡されるワトソンは、あのロンドンは幻であったはずなのにと戸惑う。

「あのロンドンは幻ではなかったのですが?」

「ええ、幻ではありません。あなたたちが<東の東の間>に閉じ篭められている間、ロンドンはたしかに存在していたのです。むしろこの世界の方が幻にすぎなかった。もしもあなたたちが無事に帰ってこなかったら、すべてが夢のように消え去っていたことでしょう」

「消え去っていた?」

「<東の東の間>はこの世に存在してはならないものでした」

ヴィクトリア女王は淡々と続けた。「けれども私の力ではどうすることもできなかった。どうしてもみなさんの力を借りなければならなかったのです。(中略)この原稿を救い出すことだけはできたのです。受け取ってくれますね」

しばらくの間、私は茫然として女王を見つめていた。

(中略)

「もしも私たちが帰ってこられなかったら、どうなさるおつもりだったのですか?」

私が訊ねると、ヴィクトリア女王は迷うことなく「あなたたちと運命をともにしたことでしょう」と言った。

「私は見守ることしかできないのですから」

みんなでピクニックに出かけたとき、ワトソンがメアリに言う

「このところ、ずっと考えていたことがあるんだよ」私は言った。「これまで僕たちはずっと<東の東の間>に『魔力』が宿っていると思い込んできた。しかし真実はあべこべだったんじゃなかろうか」

「あべこべって、どういうこと?」

「この世界そのものが『魔力』によって創られている」
そう言ったとたん、ふしぎな確信が湧いてきた。「マスグレーヴ家の<東の東の間>は、その『魔力』の及ばない場所だった。そう考えてみればどうだろうか。それは世界の綻びのようなもので、誰かが縫い縫わねばならなかったんだよ。だから僕たちはー」

ふいにメアリの温かい手が私の手を包み込んだ。

「そのことはもう考えないでおきましょう。いつかホームズさんも言っていたわ。この世界には触れるべきでない謎というものがあるって」

少し考えてから、私は頷いた。

「うん。そうだね」

「もう二度と『魔法』は解けないでほしい」

メアリは私の肩にもたれると、安心したように目を閉じた。

(中略)

四月上旬の叙勲式以来、私は女王から託された原稿を書き継いできた。

これほど不思議な経緯で書かれた原稿はないだろう。第一章から第四章まではロンドンの下宿屋の屋根裏部屋で書かれ、そこから先は京都の診療所の書斎で書かれた。<東の東の間>を挟んで二つの世界を行き来することによって『シャーロック・ホームズの凱旋』は生まれたのである。完成の暁にはヴィクトリア女王に献上しようと決めている。

そのとき、女王のささやく声が聞こえたような気がした。

ー私は見守ることしかできないのですから

森見登美彦インタビュー

とここまで書いて、ちょっと調べてみたら以下のような記事を発見して、読んでみたらご本人がかなり詳細に語ってくれているではないですか!

realsound.jp

一部抜粋しながら・・・

――森見さんは2011年に連載をすべて中断し、休養をとられています。その経験も、影響されているのでしょうか。

森見:関係あるとは思います。休む以前は、けっこうな勢いで小説を書き続けていたんです。でも『聖なる怠け者の冒険』以降、小説とはなにか、自分はどういうものを書くべきなのか、思い悩むことが多くなりました。おそらく『熱帯』は、その問いかけを具現化しようとした最たるもので、やはり自分自身を映し出そうとしていたんですよね。『熱帯』は一つの物語として一応は完結したんだけれど、実はまだ終わっていなかったんだということに、『シャーロック・ホームズの凱旋』を書きながら気づきました。

――『熱帯』は、幻の本にとりつかれた人たちの魂のゆくえを探る物語です。本作でのホームズは、過去のとある未解決事件にとらわれていて、なかなか「今」に戻ってこられないのですが、その様子は、物語の構造をふくめて、確かに似ているなあと思いました。

森見:『熱帯』では、物語に吸い込まれた人々がけっきょく戻ってこられないまま終わってしまった。たぶん、私自身も『熱帯』にとらわれたまま、帰ってこられていなかったのでしょう。『シャーロック・ホームズの凱旋』を書きながら、「ああ、これは『熱帯』の続きなんだ」と気づいたので、今度こそちゃんと“帰って”こられる小説を書かなきゃと思いました。

やっぱり、「熱帯」の続き!そうですよね、うん。(物語自体はまったく別の話で独立しています)

――本作も、不思議な現象は不思議のまま置いておくしかないのだ、という結論に達するのかなと思っていたんです。そうではなく、ちゃんとすべてを明らかにすべく立ち向かったのは、ホームズが名探偵だからかと思っていましたが、『熱帯』の対比でもあったのですね。

森見:同じことはもうやりたくない、という気持ちがありましたし、『ペンギン・ハイウェイ』などの他の作品でも“解けない謎”を描いてきた自覚もありました。『夜行』もそうですけど、物語の中心になにか奇妙な存在があって、どうしても解き明かすことができないのに書きたい、書かなきゃと思うのにそのかたちをとらえられない、と思うことがこの十年くらい、しばしば起きていたんです。それが私自身のスランプにも通じていた。そうしたら今作でも、なんだか正体のわからない謎……〈東の東の間〉という存在が出てきて、これはまずいぞと思ったんですよね。これをなんとかしないと、また同じことをずっとやり続けるはめになる、と。

――永遠に『熱帯』のなかにとじこめられてしまう。

森見:なので、今作では、どうすれば納得のいくかたちで、世界に生まれた穴みたいなものをふさいでいくことができるだろうか、と一生懸命考えていた気がします。この世界から脱出することがホームズのスランプを治し、ひいては私自身のもがきからも抜け出すことになるのだと、しだいに考えるようになりました。

――ホームズが探偵であることは、そこに何か作用しましたか?

森見:探偵というのは具体的な事件の謎を解くのが本来の仕事です。でも今作でのホームズはスランプに陥っていて、解決すべき謎は彼の内側に存在しているわけです。でもその内側にある謎を解こうともがけばもがくほど、なにかがいびつになっていくようなイメージがあったんですよね。私自身、小説をうまく書けなくなったとき、小説とはなんなのだろうと考えれば考えるほど、その謎はふくれあがって、手に負えないものになっていった。外側に発散すべき力を内側に向けると、異様な事態が起きてしまうという実感があったんです。

――内面世界に潜れば潜るほど、出口は見つけられなくなるわけですね。

熱帯では抜け出ることのできなかった謎から脱出するための今作だったのですね。そしてそれは作者自身の内側にある謎からの脱出でもあった。

森見:究極的には、自分とは何か、という話を書いたんですよね。なんでスランプになったんだ、どうしてできていたはずのことができないんだ、と悩みを掘り進めていくと、その問いにぶちあたってしまう。でも、「自分とは何か」の向こう側には、虚無しかないんですよ。「小説とはなにか?」とひとりで考え続けていると、エンターテインメントの枠組みが壊れてしまって、たどりつきたい場所には決してたどりつけない。小説を書くのと同時進行で抱えていたそのもがきを、ホームズに重ね合わせていたので、小説の構造もずいぶんと入り組んでしまった。おかげで、けっきょく人は他者と救いあうしかないんだという結論にたどりつけた気もしますが。

「自分とはなにか?」の向こう側には虚無しかないという言葉が印象的です。<東の東の間>は自分の内面世界へ入っていくための入り口だったのか?そしてそこには結局、虚無しかない。そしてその先に「人は他者と救いあうしかないんだ」という、正直に言えば新鮮味のない、でもだからこそ真理なのか・・・という結論になるのも興味深いです。もちろん他者と救い合うことを否定するつもりはないし、それを本当の意味で理解し受け入れるって実は案外難しい気がするんですけど、でもそうかあ、やっぱりそういう結論しかないのかなあ、と個人的には何か他にもあってほしい、新しい何かをみたい思いがとてもあります。そういう新しい何かをみつけたくて小説を読んでるところ、あるかも。

森見:(前略)「小説とは何か」とか、「自分とは何か」とか、そういうことを書こうとしてきたけど、そうするとどうしても『熱帯』や今作のようにヘンテコなものになってしまう。どうすれば読者にとっておもしろい小説になるか、その瀬戸際で悩む作業はもうさんざんやったので、次からはもうちょっとわかりやすいものを書きたいです。でも、まあ、分かりません。もしかしたらまた急に哲学的なものを書きたくなるかもしれない。

――それも読みたいですし、『恋文の技術』で〈恋文を書こうと思うな〉という格言があるように、哲学を真正面から掘り下げることをやめるからこそ浮かび上がってくる哲学がある気がするんです。あくまでエンタメにこだわりつつ、キャラクターを通じて哲学を掘り下げる森見さんの小説だからこそ描けるものがあって、それが読者の心を打つんじゃないかなと思います。

森見:なるほど。私小説を書いているつもりはありませんが、私は常に「自分」を書いてきたと思うんです。でも直接的に「自分」を書こうとすると、かたちにならないんですよね。思いきり力こぶを作って挑もうとすればするほど「自分」の謎がどんどん深まり、とらえられなくなっていくんです。本当は、おっしゃるように、別のものを書いていたら自然と「自分」が描けていたというふうであるのがいい。だからこそ……くりかえしになりますが、この十年とはちがうやりかたで、小説にとりくまねばなと思いますね。どんなものが生まれるのか、まだわからないけれど、次へ進むためのヒントはホームズと一緒に見つけられた気がします

「別のものを書いていたら自然と「自分」が描けていた」っていうの、いいですね。

最後に

エンタメの形をとっているけれども、「熱帯」も「シャーロック・ホームズの凱旋」も哲学的で純文学の要素もあるといえるような内容で、ただただ面白い作品という意味では該当しないのかもしれないです。でも「熱帯」と違い、こちらはちゃんと脱出している(他者と救い合うしかないんだ、という結論を出している)からエンタメの形になっているともいえるかもしれません。推理小説やヒューマンドラマを楽しみたいという人には向いてないけれど、エンタメ要素もありながら自分とか小説についてぐるぐる考えたい人には楽しめるのが「熱帯」や「シャーロック・ホームズの凱旋」なのかもしれない、などと思いました😊