Thoughts and Healing

頭の中のこと 日々想うこと

誕生日🎂におめでとうの意味を改めて考えてみた

5月に自分の誕生日がありました🎂おめでとうと言ってもらって、ふと、年を重ねることはめでたいのか?嬉しいのか?正直ちょっとよくわからないような気がしたんです。

子どもの誕生日となれば、私たちのところに生まれてきてくれてありがとう、元気に育ってくれてありがとうの気持ちで祝ってるけれども、それはおめでとうっていうよりも感謝のありがとうな感じがする。そして子どもの喜ぶ顔が見たくてケーキやプレゼントでお祝いをしているところもある。

この世界に生まれてきておめでとうという意味なのかな?でもそれはなんていうか、簡単にそう言うのをためらってしまうような過酷な環境にいる人だっている。命は尊いとかそういうのはもちろんわかってるけど・・・それをおめでとうっていうのはまた違うような・・・

なんて面倒くさいこと色々考えてたんですけど(ほんと私って面倒くさい・・・)

あ!そうか。突然、すごく簡単なことで腑に落ちました。みんなわかってるような当たり前のことなのに、わたし、お誕生日おめでとうって言うときも言われるときも、本当にはちゃんとわかってなかった気がします。知ってるはずのことだけど身にしみてなかったっていうか。

「今年も無事に生きて誕生日を迎えられたこと」が「とてもおめでたいことでありがたくて嬉しいこと」なんですよね。よく生きたね、また一つ年を重ねるまで生きられておめでとうなんですよね。いやほんと当たり前すぎてごめんなさいなんですけど、でもすっごくそれが頭じゃなくて実感としてわかった気がします。

病気、災害、事故、事件、紛争、生きていく困難、孤独・・・あらゆることがあって、生きていくことは簡単じゃないって、日々思っていたはずなのに。ニュースを見てたくさんの人がいろんな理由で亡くなっていることに心を痛めていたはずなのに、なぜだか誕生日おめでとうに繋がってなかったです。

子どもの誕生日に元気に育ってくれてありがとうと思って祝ってはいたけれど、子どもが誕生日を迎えられない可能性をそこまで心配していなかった気がします。日々の小さな心配は山ほどしていたのに、誕生日を迎えることは当たり前と思っていたのかもしれません。でもそれは違いますよね。あらゆる災難や不幸があるなかで無事誕生日を迎えられるのは当たり前じゃなく素晴らしいことなんだと思いました。

だから誕生日はおめでとうと祝うべき日だ!とつくづく思いました。そして自分にとって大切な人から、誕生日を迎えられたことを喜んでもらえておめでとうと言ってもらうのは、とても幸せなことだなあと思います。

子どもには元気に育ってくれてありがとう、親には育ててくれてありがとうという感謝の気持ちのほうがより強くて、おめでとうの感覚がぴんときてなかったのですが、これからは誰に対しても、誕生日おめでとうの言葉を深い気持を込めて言える気がします。

そしてお誕生日を迎える全ての人が自分自身によくがんばってここまで生きたねと毎年褒めてお祝いしてあげていいと思います!だって生きるのは大変だと思うから🤗

夫からは、毎年花が届きます。だいたい夫が仕事中でいない時に届きます。忙しくてプレゼント考えたり買ったりする暇もないので花と決めてるのだと思いますが😆それでも忘れずに贈ってくれるだけでありがたいことです。それにこんな時でしかもらえないお花はやっぱり嬉しいです。ただすぐ枯れちゃうのは残念なので、来年から鉢植えにしてもらおうかなあ、誕生日っぽくないけど😂

そして今年は娘がお小遣いでケーキを買ってきてくれました。とてもかわいくておいしいケーキで、娘の気持ちがとても嬉しかったです✨

喧嘩もよくする我が家ですが😝家族のためにも少しでも健康に年を重ねていきたいとつくづく思いました。

 

おまけの話
数年前の娘の誕生日ケーキはCake.jpにて鬼滅の刃のケーキを頼みました!初めてこういうの頼んでみたけれど、テンションあがるのよくわかりました😊特別感がありますね。娘も全身で大喜びだったなあと懐かしいです。でも推したちの顔にざくざくフォーク刺して嬉しそうに食べてましたけども😝ろうそくは当時母子ともに好きだった(今も好きな)嵐のメンバーカラーですね。コンサートも親子席に何回か行けたのが良い思い出です。娘は今でもこういうケーキで大喜びすると思うので、また今度頼んでみようかな。今ならどんな絵を頼むかなあ。

 

また来年の誕生日を無事に迎えられますように✨と思ったら、誕生日を迎えられることの素晴らしさをひしひしと感じました。ずいぶんと大人になりましたし(笑)数年前には大きな病気もしたので、やっぱり無事に迎えられる誕生日はおめでとうですね😊